ウイリー松浦Blog
ウイリー松浦の日々の奮闘記を赤裸々に公開します。
2009.05.18 (Mon)
良い週末でした
ガッツ木更津の金曜日、ガッツリほこり対策を済ませ(これが意外と大変だったが、、)、土曜日に突入。
この日は、地元勢も多く、自分はコース管理の合間に CRF/09 の慣らしをしました。
久々の新車。(みんなには怒られるかもしれないけど、昔はバイクもらってたからね。笑 ま~もらうとなると、かなりやらなきゃならぬコトガラ、たくさん出てくるワケで、これはこれで大変なんだぜ。)
パワーも十分、トルクも十分、制動力も十分。んで、軽いぞ~。

日曜日は、夜の間に満遍なくサっと散水したような、一年に一度あるかないかくらいの、スーパーベストコンディションだった。
でも、東京が雨だったので、走りに来る人も ぐっと少なく、ちょっともったいないカンジ。苦笑
でも、これはオレがもらったプレゼントかも?(と、勝手に解釈)と、バッチリ走り込んでしまいました。笑笑
今までのバイクは、整備も手をかけてない 05 だったワケだが、これだってもっと巧く走れないとダメなんだ。。!(意外と自分には厳しいのです。笑)と、思っていたが、
やっぱ新型はいい。速くスムーズな分、リズムも出るし、より密度の濃い練習ができるね。



結局この日は、丸一日雨は降らず、寒くもなく暑くもない、最高のコンディションの中練習できました。
さてさて、超少人数でスーパーベストコンディションのガッツ木更津。
エンデューロコースでは、カニ、アキラ、エド の3人が、めちゃくちゃ楽しそうに、気づけば1.5時間も身内バトルしてた。おとなしめな3人だけど、みんな かなり 負けず嫌いな空気だった。笑笑
Cコース(超初心者&初心者子供用)は、ゆーさくさま(笑)の貸切状態でした。
最後の仕上げは、全日本Lさいとーさま(笑笑)と、150稽古。
走り終えて、あそことここを、もうすこし こんな風にするといよ、、とアドバイスすると、『あ~そ~かい』だって・・・稽古の走行で、勝負じゃねーっつーのに、、苦笑。このヒトも負けず嫌いだな。。と。。
この日は、地元勢も多く、自分はコース管理の合間に CRF/09 の慣らしをしました。
久々の新車。(みんなには怒られるかもしれないけど、昔はバイクもらってたからね。笑 ま~もらうとなると、かなりやらなきゃならぬコトガラ、たくさん出てくるワケで、これはこれで大変なんだぜ。)
パワーも十分、トルクも十分、制動力も十分。んで、軽いぞ~。

日曜日は、夜の間に満遍なくサっと散水したような、一年に一度あるかないかくらいの、スーパーベストコンディションだった。
でも、東京が雨だったので、走りに来る人も ぐっと少なく、ちょっともったいないカンジ。苦笑
でも、これはオレがもらったプレゼントかも?(と、勝手に解釈)と、バッチリ走り込んでしまいました。笑笑
今までのバイクは、整備も手をかけてない 05 だったワケだが、これだってもっと巧く走れないとダメなんだ。。!(意外と自分には厳しいのです。笑)と、思っていたが、
やっぱ新型はいい。速くスムーズな分、リズムも出るし、より密度の濃い練習ができるね。



結局この日は、丸一日雨は降らず、寒くもなく暑くもない、最高のコンディションの中練習できました。
さてさて、超少人数でスーパーベストコンディションのガッツ木更津。
エンデューロコースでは、カニ、アキラ、エド の3人が、めちゃくちゃ楽しそうに、気づけば1.5時間も身内バトルしてた。おとなしめな3人だけど、みんな かなり 負けず嫌いな空気だった。笑笑
Cコース(超初心者&初心者子供用)は、ゆーさくさま(笑)の貸切状態でした。
最後の仕上げは、全日本Lさいとーさま(笑笑)と、150稽古。
走り終えて、あそことここを、もうすこし こんな風にするといよ、、とアドバイスすると、『あ~そ~かい』だって・・・稽古の走行で、勝負じゃねーっつーのに、、苦笑。このヒトも負けず嫌いだな。。と。。
2009.05.14 (Thu)
運命って何なんだろう
オレは今まで、『死ぬかもしれない』と思った事が、3回ある。
1度目は、17歳の時。小雨がぱらつく中、750で走っていたとき、シールドがどうにも曇って困り、もうだめだとシールドを手でぬぐったら、直前にダンプが停まっていて、まさに危機一髪でよけた時。
2度目は、24歳の時。映画『トラック野郎』の撮影で、スタントマンをやり、パトカーで大ジャンプをするシーンを撮影していたら、のどぼとけの真横を、鉄パイプが通り抜け、シートに突き刺さった時。
3度目は、40歳の時。BAJA1000をXR600で出場中、サンドセクションを全開で走っていて、バランスをくずし、大岩に向かって140キロ近くで接近したが、奇跡的にギリギリくぐり抜けられた時。
今思い出しても、間一髪。『死ぬところだった、、死ぬところだった、、死ぬところだった、、』・・・と、震えながら何度もつぶやくような経験だった。
話し変わって、昔のホームコース。
住んでいる場所は遠いのに、いつも 一番に到着して準備している親子がいた。
お父さんの口数は少ないけど、ノイズな会話をしない人なんで、自分も話していると、落ち着いていい気分になっていく人だった。
ガッツ木更津ができると知ったとき、一番よろこんでいる人でもあった。
ガッツ木更津ができたとたん、もちろん家族で毎週来場してくれ、奥さんはさりげなく戸田を手伝ってくれ、娘は楽しそうにバイクで走り回り、彼ももちろん生き生きと練習しまくった。
一度だけ彼の自宅をたずねたことがあるが、バイク中心の生活を脈々と感じる手作りガレージのある暖かい家で、ホームドラマを見ているような安心した気分になった。
彼の走りは慎重型で、少しずつ確実に上達するタイプ。
今、オレ、このタイプが一番好きだ。年々バイクのポテンシャルもよくなる一方なので、怪我をしないのが、上達への一番の近道といってもいい時代だと思う。
ところがある日 彼の奥さんがオレのところに来て、
『ウチの人ついこの間、癌と診断されて、、、でもね、それを知った一言目がなんだったと思います?え?バイクに乗れなくなる、、、っていうんですよね。苦笑 今日も木更津に来るって聞かないんです・・・』
・・・・と、伝えに来た。。。
木更津に からがら来た彼の姿を見たときに、なぜ来たのか理由がわかった。状態は、極端によくないからだ、、と、オレは思った。。
この日は、まばたきひとつせずに、娘の走りを見ていた。
オレは一日中泣いていた。風が強いから目にごみが入ってしかたないせいにした。。
それから2週間も経たないうちに、横浜に住む彼と親しいW松ファミリーから連絡が来て、『松浦さん・・・見舞いに行っておいたほうがいいです・・・』と。
泣きながら病院に行くと、キチっと正座した彼がベッドの上に居た。
しゃべると苦しそうなので、一方的にしゃべった。
娘さんに対するお父さんのやり方は、必要なマナーやルールだけをきっちり教え、走る事に関しては、自分で考える部分を残している。そのやり方はすごくいいね、健やかに上手になっている。すごくいいよ。
と、伝えると、目をつむって、大きくうなずいた。
その後、目を大きく開けて、オレの周りの景色をじっくり見ていた。一分でも一秒でも、何もかも目に焼き付けておきたいようだった。
その週の日曜日は、ずいぶん前から子供たちが出場する予定だったレースだった。当然彼らも来るはずだった。
W松ファミリー親子みんな本当によくがんばって、楽しく走った。
そして表彰式が終わるころ、奥さんをはじめみんなに『ありがとう』と伝え、彼は亡くなったと伝わった。
バイクでは怪我もなく、慎重なライディングだった。むしろ彼よりも度胸のある走りの娘の姿を見るのが大好きだった・・・
無念で無念で、無念でならない。
とにかく、彼が大好きだったガッツ木更津で、オレなりの『彼をしのぶ会』を開催し、身内で彼の人柄と、バイクライフを語り、彼の家族の次を応援したい、、、。
彼のしっかりした奥さんと娘を応援したい。。。
しかし、毎日 泣いてばかりいるダメなヤツです、、、。
1度目は、17歳の時。小雨がぱらつく中、750で走っていたとき、シールドがどうにも曇って困り、もうだめだとシールドを手でぬぐったら、直前にダンプが停まっていて、まさに危機一髪でよけた時。
2度目は、24歳の時。映画『トラック野郎』の撮影で、スタントマンをやり、パトカーで大ジャンプをするシーンを撮影していたら、のどぼとけの真横を、鉄パイプが通り抜け、シートに突き刺さった時。
3度目は、40歳の時。BAJA1000をXR600で出場中、サンドセクションを全開で走っていて、バランスをくずし、大岩に向かって140キロ近くで接近したが、奇跡的にギリギリくぐり抜けられた時。
今思い出しても、間一髪。『死ぬところだった、、死ぬところだった、、死ぬところだった、、』・・・と、震えながら何度もつぶやくような経験だった。
話し変わって、昔のホームコース。
住んでいる場所は遠いのに、いつも 一番に到着して準備している親子がいた。
お父さんの口数は少ないけど、ノイズな会話をしない人なんで、自分も話していると、落ち着いていい気分になっていく人だった。
ガッツ木更津ができると知ったとき、一番よろこんでいる人でもあった。
ガッツ木更津ができたとたん、もちろん家族で毎週来場してくれ、奥さんはさりげなく戸田を手伝ってくれ、娘は楽しそうにバイクで走り回り、彼ももちろん生き生きと練習しまくった。
一度だけ彼の自宅をたずねたことがあるが、バイク中心の生活を脈々と感じる手作りガレージのある暖かい家で、ホームドラマを見ているような安心した気分になった。
彼の走りは慎重型で、少しずつ確実に上達するタイプ。
今、オレ、このタイプが一番好きだ。年々バイクのポテンシャルもよくなる一方なので、怪我をしないのが、上達への一番の近道といってもいい時代だと思う。
ところがある日 彼の奥さんがオレのところに来て、
『ウチの人ついこの間、癌と診断されて、、、でもね、それを知った一言目がなんだったと思います?え?バイクに乗れなくなる、、、っていうんですよね。苦笑 今日も木更津に来るって聞かないんです・・・』
・・・・と、伝えに来た。。。
木更津に からがら来た彼の姿を見たときに、なぜ来たのか理由がわかった。状態は、極端によくないからだ、、と、オレは思った。。
この日は、まばたきひとつせずに、娘の走りを見ていた。
オレは一日中泣いていた。風が強いから目にごみが入ってしかたないせいにした。。
それから2週間も経たないうちに、横浜に住む彼と親しいW松ファミリーから連絡が来て、『松浦さん・・・見舞いに行っておいたほうがいいです・・・』と。
泣きながら病院に行くと、キチっと正座した彼がベッドの上に居た。
しゃべると苦しそうなので、一方的にしゃべった。
娘さんに対するお父さんのやり方は、必要なマナーやルールだけをきっちり教え、走る事に関しては、自分で考える部分を残している。そのやり方はすごくいいね、健やかに上手になっている。すごくいいよ。
と、伝えると、目をつむって、大きくうなずいた。
その後、目を大きく開けて、オレの周りの景色をじっくり見ていた。一分でも一秒でも、何もかも目に焼き付けておきたいようだった。
その週の日曜日は、ずいぶん前から子供たちが出場する予定だったレースだった。当然彼らも来るはずだった。
W松ファミリー親子みんな本当によくがんばって、楽しく走った。
そして表彰式が終わるころ、奥さんをはじめみんなに『ありがとう』と伝え、彼は亡くなったと伝わった。
バイクでは怪我もなく、慎重なライディングだった。むしろ彼よりも度胸のある走りの娘の姿を見るのが大好きだった・・・
無念で無念で、無念でならない。
とにかく、彼が大好きだったガッツ木更津で、オレなりの『彼をしのぶ会』を開催し、身内で彼の人柄と、バイクライフを語り、彼の家族の次を応援したい、、、。
彼のしっかりした奥さんと娘を応援したい。。。
しかし、毎日 泣いてばかりいるダメなヤツです、、、。
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